こんにちは、まちゃりんです。

今日はやっぱりどうしてもこの事について話さなきゃいけないと思います。

H23.3.11

私も被災しました。沿岸地域の方々に比べれば何てことはなかったです。
でも、あの地震の恐怖は一生忘れることはないと思います。

自分自身の心配より、幸いにも一緒に居た娘の事。
あの時間は実家に二人でたまたま帰っていました。
この子を何としても守らなきゃいけない。そう本気で思いました。
あの揺れの中は命を考えるにそう難しくありませんでした。

妻は当時夜勤前で自宅であの時間をむかえました。

携帯電話も規制がかかり繋がらない。

電気も使えず、TVなどの情報が入らない。

震源地は?震度は?

妻の安否も、何が起こっているのかもわからない。

出来ることは娘を守り、近所の人達の安否をみんなで確認する作業。

続々と実家の家族が帰ってくる。

一安心。近くに住む親戚が我が家へ集合し、それぞれの持ち寄った情報を共有。

でも、妻の安否が不明。

暫くして、富山に住む妹からの着信。

妻を含め家族は全員無事。富山からの本当に安心する電話でした。
その電話である程度の状況が掴めました。
ラジオをつけてもあの時点の現場の人間の耳にはあまり入ってこない。

大津波警報。

聞きなれない言葉にはさほどのインパクトはなかったように思えます。
何だろう、ラジオの声が聞こえているのに耳に届かないんです。

一晩実家で過ごし、朝早く自宅に帰りました。その車の中で初めてTVを見ました。

言葉にならない映像。ここまで大きな災害だとわかってなかったんです。

妻に会い、妻の涙を見てそこで本当に安心したのを覚えています。

その後は、電気、水道、ガスのない生活が1週間程度続きました。
食糧の確保にも奔走しました。

今までの生活の有難さに初めて気付いたんです。

日を追う毎に増えていく死者、不明者。

友達もお世話になった方も犠牲になりました。

直後に沿岸地域にも足を運びました。
TVなんかじゃなく自分の目で見なきゃいけない。
そう思ったんです。
無数に散乱する車。船。
家があったはず・・・。何度も通ってきた道が、まるで知らない初めて走った道に感じました。
こどもの頃に遊んだ海水浴場はもうありません。
忘れられない。 忘れてはいけない。

今では地震を知らない2歳の息子がいます。
この子にお前が住むこの地にはこんな悲しい災害があったんだ。
でも、その中でみんなが助け合って生きたんだ。
絶対に忘れてはいけない教訓の元にこの街があるんだと言い聞かせていきます。
それは、生き残った我々にできることの一つだと思うから。